毎週日曜に投稿する本マガジン「移動日記(仮)」では、デジタルノマド/ヘルスコーチとして国内外を移動する筆者が、現地で実際に見て、聞いて、体験したことや考察などを世界のどこかからお届けします。
近況
今週も石垣島にいます。
沖縄では、新暦の3月下旬から4月下旬ごろ、旧暦の2〜3月にあたる季節を「うりずん」と呼びます。一年の中でも特に過ごしやすい時期とされていて、暑すぎず、風もやわらかい。石垣島を歩いていても、つい遠回りしたくなるような気持ちのいい季節です。
石垣島では、仕事の合間に散歩がてらコーヒーを飲みに行く日々。石垣島にいると、都市のように目的地へ急ぐというより、少し歩いて、途中でコーヒーを飲んで、また歩く、という時間の使い方がしっくりきます。うりずんの空気とコーヒーのおいしさが幸福感を高めてくれます。
石垣島で面白いのは、ここ数年でコーヒーシーンがずいぶん変わってきたことです。僕が6年前に来たときには、今ほどコーヒーにこだわっているお店は多くなかったように思います。記憶に残っているのは、2019年にオープンしたKLATCH COFFEEくらいでした。
そこから石垣島のコーヒーシーンは、少しずつ厚みを増してきました。その筆頭がFUSHI COFFEEです。FUSHI COFFEE ROASTERSは2022年4月に石垣島でオープンした自家焙煎のスペシャルティコーヒー専門店。店内にはドイツ製の焙煎機が設置されていることから焙煎へのこだわりが見て取れます。近年は焙煎競技会での実績もあり、石垣島のコーヒーシーンを語るうえで外せない存在になっています。島にいながら、かなり本格的なスペシャルティコーヒーが飲めるようになった象徴的なお店です。グルテンフリーの美味しい焼き菓子があるのも嬉しい。


Standactも印象的なお店です。2023年夏にフードトラックからはじまった自家焙煎コーヒースタンド。2025年にオープンした実店舗は、沖縄にいながら、いい意味で沖縄を感じさせない。心地よい空間は石垣島の新しい空気を感じる場所でした。「一杯のコーヒーからコミュニティを築く」という考え方を掲げており、今後の展開が楽しみなお店でした。


Nutstown coffeeも、今の石垣島のコーヒーシーンを語るうえで欠かせません。スペシャルティコーヒーと焼き菓子、グッズまで含めて世界観がつくられていて、旅の途中に立ち寄るだけでなく、コーヒー好きが目的地として訪れたくなるようなお店です。夕方のテラス席は、うりずんの季節にとても気持ちがいい!
一方で、和居津のようなお店があるのも石垣島らしさだと思います。スペシャルティコーヒーの新しい流れとは少し違う、静かで落ち着いた島時間が流れていて、石垣島のコーヒー文化が単なるトレンドではなく、もともとの時間感覚や空気感の上に広がっていることを感じさせます。
さらに和居津では、石垣島産のコーヒー豆を扱っています(通常メニューには載っていません)。少し高価ですが、他では飲めない一杯。僕が行ったときにはシーズン最後の一杯とのことで、ありがたくいただきました。


こうして見ると、石垣島のコーヒーシーンは、この数年でかなり豊かになりました。スペシャルティコーヒーをしっかり打ち出す店が増えた一方で、古民家でゆっくり珈琲を飲める店もある。同じコーヒーでも、それぞれのお店が違う時間をつくっているのが面白いところです。
都市で人気のコーヒーショップでは、PCを開いて作業をすることも多く、混雑しているのが普通です。ゆっくりコーヒーを楽しむというより、何かをするために立ち寄る場所になりやすい。その点、石垣島ではコーヒーをもっとゆっくり楽しめます。時間の流れ方が違うせいか、一杯を味わうこと自体が、そのまま豊かな時間になる気がします。散歩の途中で立ち寄って、一杯飲んで、お店の方と会話して、また歩く。そんな時間の流れが、この島にはよく似合います。
石垣島は海や自然のイメージが強い場所ですが、最近はコーヒーを入り口に島を楽しめるようにもなってきました。6年前にはまだ点だったものが、今では少しずつ線になってきている。そんな変化を感じながらコーヒーを飲むのも、今の石垣島の面白さかもしれません。
特別企画「Q&Aコーナ」のお知らせ
本マガジンは今月で1周年を迎えます。そこで、特別企画として「第2回Q&Aコーナー」を行いたいと思います。デジタルノマドの生活、旅、健康、トレーニングのことなどお気軽にご質問ください。
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募集期間:2026年4月19日の23:59まで
回答:2026年4月26日のニュースレター内
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乱世をサバイブする体づくり
第34回:自分自身のために体を鍛える
この連載ではここまで、運動、栄養、休養という3つの視点から、乱世をサバイブするための体づくりについて書いてきました。今回は少し視点を変えて、僕自身がなぜトレーニングを続けているのか、その原点と、今の考え方について正直に書いてみたいと思います。
劣等感から始まったトレーニング
僕がトレーニングを始めたきっかけのひとつは、オーストラリアにいた頃の劣等感でした。向こうでは体の大きな外国人が多く、自分は細くて、筋肉もなく、頼りない体に見えました。誰かに何かを言われたわけではありません。でも、周囲の大きな体と自分の体を比べるなかで、もっと体を大きくしたい、もっと強そうに見える体になりたいという気持ちが自然と生まれました。
今思えば、とてもシンプルな動機です。でも、トレーニングを始める理由としては、それで十分だったのだと思います。そこから何年も、筋肉をつけて体を大きくすることを目指してきました。ジムに通い、重いものを持ち、食事も意識して、少しずつ体が変わっていくのを実感する。その過程は単純に楽しかったですし、努力が目に見える形で返ってくる感覚もありました。
一時期は、フィジークの大会に出ることを考えたこともありました。もっと筋肉をつけて、もっと絞って、作り上げた体を多くの人に見てもらいたい。
比較することに飲み込まれそうになった
トレーニングを続けるなかで、自分の中に少しずつ嫌な変化が生まれていたのも事実でした。日常生活の中で、トレーニングをしていない人の体をどこかで見下したり、ジムで他人と扱う重量を比べたりする思考が、自分の中に生まれ始めていました。体づくりは本来、自分のためにやっていたはずなのに、いつの間にか他人との優劣を見るフィルターのようなものが自分の中にできていたのです。
大会に出るということは、そうした比較の延長線上に自分を置くことでもあります。もちろん競技なのですから、それは当たり前です。でも、そこで改めて思いました。トレーニングは本来、自分のためにやっていたはずではなかったか、と。昨日の自分より少し強くなるために、少し健康になるために、少し自信を持てるようになるために続けていた。そのはずなのに、他人と比べることが目的になってしまうとしたら、それは何かが違う気がしました。
大会志向への違和感
さらに、大会を本格的に目指すことにも違和感がありました。大会に出るためには、増量と減量を繰り返しながら、見栄えのする体を作っていく必要があります。体を意図的に大きくして、そこから極端に削っていく。そのプロセスは競技として必要なのだろうと思いますが、果たしてそれは健康的なのか。
僕の中には、トレーニングはあくまで健康であることが大前提、という感覚がずっとありました。筋肉を増やすことも、見た目をよくすることも、健康の延長線上にあるならいい。でも、健康を削ってまで追いかけるものなのかと考えると、どうしても素直にうなずけませんでした。
だからこそ、大会に向けて体を仕上げることに対して、最後まで本気で踏み切ることはできませんでした。自分がやりたかったのは、誰かに評価される体を作ることなのか。それとも、自分がよりよく生きるための体を作ることなのか。その問いに向き合ったとき、答えはだんだんはっきりしていきました。
健康を失ってまで手に入れるものなのか
フィジークの世界を見ていくと、さらに考えさせられることもありました。団体によっては、ステロイドの使用を実質的に黙認しているように見えるケースもあり、むしろそれなしでは勝てない世界になっているとも言われます。もちろん全員がそうだと言いたいわけではありません。ただ、少なくとも一部では、健康よりも見た目や結果が優先されやすい構造があるように感じました。
もし健康を犠牲にしなければ勝てないのだとしたら、それは本当に健康的な競技と言えるのだろうか。そんな疑問が強くなりました。加えて今は、SNSの影響も大きいです。ステロイドを使って作った体で注目を集め、いいねを集め、承認欲求や自己顕示欲を満たしていく。インフルエンサーによってはそれが自身の商品の売り上げにつながる。そうした構図そのものを頭ごなしに否定したいわけではありません。でも、その延長線上に本当に幸福があるのかと考えると、僕にはそうは思えませんでした。
見た目を極限まで追い込むこと。他人より優れた体に見せること。評価を得ること。それは確かに一時的な満足にはつながるかもしれません。でも、健康を失い、心まで比較のゲームに巻き込まれながら続けた先に、どんな人生があるのだろうか。少なくとも僕にとっては、そこに進むことが幸せには思えませんでした。
今は、自分の人生を支えるために鍛えている
だから、大会に出るのはやめました。競技として体を作る道ではなく、自分の人生を支えるために体を整える道を選んだ、ということだと思っています。
今、僕が筋トレを続けている理由は以前とは少し違います。健康的であることを前提に、日々のパフォーマンスを上げるために続けています。仕事に集中できること、疲れにくいこと、よく眠れること、移動や環境の変化に耐えられること。そうした生活に直結する力を保つために、トレーニングをしている感覚が強いです。
もちろん、見た目を良くしたいという気持ちがなくなったわけではありません。でも今は、それ以上に健康で長く動けることの価値を強く感じています。筋トレは、誰かに勝つためではなく、自分の状態を整え、自分の人生を支えるためにある。その考え方に、今は落ち着いています。
まとめ
振り返ってみると、僕のトレーニングは劣等感から始まりました。細くて頼りなく見える自分の体が嫌で、もっと大きくなりたい、もっと強そうに見える体になりたいと思った。そして、トレーニングを頑張った分だけ体が変わっていくことが楽しく、それがここまで続けてこられた理由のひとつだったと思います。
一方で、他者との比較が鍛える目的のままだったとしたら、10年近くトレーニングを続けることはできなかったようにも思います。途中でトレーニングのあり方を見直し、その目的を少しずつ変えてこられたことは、自分にとって大きかったです。
筋トレによって見た目を変えることはできます。でも本当に大切なのは、その先で自分がどうありたいかです。誰かと比べるためではなく、自分のために鍛える。体も心も。そして、できるだけ長く、快適に動ける体を維持していくことを、これからも目指していきたいと思っています。
そして、僕の体づくりの経験が、誰かの役に立てるなら、それはとても幸せなことだと感じています。
次週に続きます。
【2026年4月19日発行】
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